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2015年7月30日木曜日

須磨寺 II

この所果たすべき業務が多く、趣味のブログ書きに使える時間が減っている。日常の業務を終えると疲れ切って、寝てしまうのだ。年齢を身体で実感する。それで、取材して写真日記を書こうという意欲が薄れてしまう。遊ぶことさえ疲れてくる。まあ今は鬱状態にあることは事実ですがね。

頭の劣化防止のため、昔の仕事を再勉強しているのだが、そちらの方にえらく精力が削がれてしまう。計算力が落ちているため、再計算に時間がかかり過ぎる。余りの我が理解の悪さに茫然とする。このお勉強も今や何の意味もなく、したいからやっているだけなのだが、15年前とはいえ自分のやった仕事を完全に忘れているとはね。あきれ果てるのである。

と、いつもの愚痴を書いてから、須磨寺の記事のつづきを始める。

神戸七福神というのがあって、つぎの七社が対応する。 長田神社のホームページより:


神戸七福神社寺名住所・TEL/FAX
恵比須神えびすしん長田神社ながたじんじゃ〒653-0812
神戸市長田区長田町3丁目1-1
TEL078-691-0333 FAX078-641-5700
大黒天だいこくてん再度山・大龍寺だいりゅうじ〒650-0000
神戸市中央区再度山1
TEL078-341-3482 FAX078-341-7797
毘沙門天びしゃもんてん湊川神社みなとがわじんじゃ〒650-0015
神戸市中央区多聞通3丁目1-1
TEL078-371-0001 FAX078-371-1920
弁財天べいざいてん生田神社いくたじんじゃ〒650-0011
神戸市中央区下山手通1丁目2-1
TEL078-321-3851 FAX078-391-8968
福禄寿尊ふくろくじゅそん大本山・須磨寺すまでら
(上野山福祥寺)
〒654-0071
神戸市須磨区須磨寺町4丁目7-8
TEL078-731-0416 FAX078-731-6859 
寿老人じゅろうじん有馬温泉・念仏寺ねんぶつじ〒651-1401
神戸市北区有馬町1641
TEL078-904-0414 FAX078-904-0414
布袋尊ほていそん摩耶山・天上寺てんじょうじ〒657-0105
神戸市灘区摩耶山町2-12
TEL078-861-2684 FAX078-801-2200

記事に曰:

七福神は、律義(清廉)・威光・愛敬・有福・大量・寿命の諸徳を人々に授けられ、天下泰平・
万民豊楽の発展繁栄の福の神と、広く人々に崇敬を集めて今日に至っております。


古来、港都・神戸は、外国文化の受容と東西文化の交流の窓口となった国際文化都市・国
際宗教都市であり、神戸を代表する七つの社寺に古くから由緒ある七福神が祀られてきた
のは、故あることであります。


諸徳を仰ぐ福の神への祈願の要望に応え、昭和62年5月に神戸七福神会が結成され、七
つの社寺に参拝される方々に、福の神の恵みをお授けしております。


七福神は、七難即滅・七福即生極りなしといわれています。七福神の功徳のお力により、
人生の諸々の災難を転じて福運を授かり、この厳しい世の中を楽しく幸せに意義深く生き
抜いて頂きたいと願います。


いつものセリフだが、知りませんでしたね。神戸七福神会なんてあったんですね。

七福神宝船色紙


私は念仏寺を除いて、全てに行ったことがあるのだが、記事にしたのは 湊川神社、生田神社、天上寺の3社のみである。その上、神戸七福神を祀ってあるなんて知らなかったのだ。迂闊である。

元町散歩 - - 湊川神社と中央図書館
神戸の神社ーー生田神社
六甲山ー摩耶山散歩 II
それで、残りの神社も近々訪問して記事にするぞと馬鹿な決心したのである。

前書きが長かったが、須磨寺の福禄寿尊である。


私は、個人コレクションとして福禄寿尊の一刀彫を所有している。画像は重くなるのでアップしない。

護摩堂




山門と焼香場

社務所の前にある干支のおみくじ結び。孫悟空が空を飛んでいるのは、どういう意味だろうね。

 
大師堂

宗祖弘法大師ならびに真言八祖を祀っています。毎月二十日、二十一日に「須磨のお大師さん」として縁日があり、十数万の信者の参詣があります。


 

お堂の中が明るかったので、弘法大師像を写すことができた。

 
大正時代の一時期、この堂には孤独奇矯の自由律の俳人尾崎放哉が堂守りとして住み込んでいました。彼はここで多くの句作を残しましたが、特に

「こんなよい月をひとりで見て寝る」

の句は最傑作として、今、本堂前の句碑に刻まれています。平成19年修復。


尾崎 放哉(おざき ほうさい、本名: 尾崎 秀雄(おざき ひでお))
1885年(明治18年)1月20日 - 1926年(大正15年)4月7日)

日本の俳人。種田山頭火らと並び、自由律俳句の最も著名な俳人の一人である。

東京帝国大学(現在の東京大学)法学部を卒業後、東洋生命保険に就職し、大阪支店次長を務めるなど、出世コースを進み、豪奢な生活を送っていたエリートでありながら、突然、それまでの生活を捨て、無所有を信条とする一燈園に住まい、俳句三昧の生活に入る。
その後、寺男で糊口(ここう)をしのぎながら、最後は小豆島の庵寺で極貧の中、ただひたすら自然と一体となる安住の日を待ちながら、俳句を作る人生を送った。 (by Wikipedia)

吉村昭の小説は好きで良く読んでいたのだが、

吉村昭 『海も暮れきる』 講談社文庫 1985年

で、尾崎 放哉 のことを知った。俳句を除けば、どうしようもない弱い人間だが、山頭火同様私の中では憧れの対象だったのだ。今もそうだが、出家遁走する勇気が私にはない。

源義経卿腰掛の松


敦盛郷首洗池


 敦盛が処刑され首を洗った池とされる。その上にある腰掛の松義経が腰掛け、敦盛の首実験をしたと伝えられている。

経木供養所  現在改修中


壁面の木彫りの風神と雷神

 
三重の塔
 
弘法大師千百五十年御遠忌当山開創千百年、平敦盛卿八百年遠忌を記念して
昭和五十九年に再建されました。(旧塔は四百年前の文禄大地震の際に倒壊。)
室町時代様式を基調とし、内部には大日如来を祀っています。 
塔敷地の周囲には四国八十八カ所お砂踏み霊場があり、
各札所の砂をガラス越しに踏んでお詣りが出来ます。


正面からの写真。中には入れないので、大日如来は拝めなかった。

四国八十八カ所お砂踏み霊場が周囲にとりまかれて配置されている。写真で見えるように、各霊場に仏像が配置され、お賽銭箱が置かれている。その各札所の足元には現地の砂が埋められており、ガラス越しに踏んで各霊場をお詣りしたことになる。簡便な四国八十八カ所巡りである。



私は、そこまで簡便を旨としていないのでお砂踏みはやらなんだ。

寺院内社である、出世稲荷社

立身出世、事業成功の神ですね。もはや私には無意味な神である。



祭神は尾玉、荒熊、末広の三神です。  とある。

普段は、畏れ多くて社の中の写真は撮らないのだが、誰もおられなかったし、俗っぽい神だからいいかと思って写したのだ。御神鏡と尾玉大明神の額がある。


 
 親子地蔵

大正四年、須磨沖で起きた母子心中事件をもとにし、芝居、映画等で当時の人々の紅涙をしぼった家庭悲劇『須磨の仇波』の実際の主人公、川上愛子、初音親子の霊を慰め、永く世の家庭不和に泣く人のないことを願って建立されました。
また、神戸六地蔵霊場会の「堅固意地蔵尊」としてもご参拝頂いております。

 

 

 
 
肝心の地蔵だが、写真では戸が閉められ見えていないので、お寺のホームページから画像を拝借する。



こんな風に書かれている。私は、このお寺で須磨の仇浪を知ったのだと思う。まあ、この須磨寺は俗受け狙いの寺院ではありますね。

須磨の仇浪年賦(一部略、完全版は上の写真にある

明治27年土居愛子播州美濃郡随一の豪農土居家の二女として生る。
大正2年秋淡路川上家に嫁す。翌年長女「初音」を生みたるも、常に家庭不和を嘆く。

大正4年12月19日汽船豊浦丸に乗じ、淡路より神戸に向ふ途中、須磨沖に身を投じ翌朝屍体須磨浦に漂着す。
同日当寺に於て葬儀を営む。戒名愛染院紅顔妙薫大姉、俗名「愛子」22才。浄音童女、俗名「初音」2才

同年羽様荷香氏、神戸新聞紙上に家庭悲劇「須磨の仇浪」を連載して読者の紅涙をしぼる。

同年故人の霊を慰め、此の親子地蔵尊を造立し、之を開眼す。

昭和14年第25回忌追善のため、女優入江たか子氏当寺に於いて法要を営み、映画「須磨の仇浪」を再演す。

調べてみたが、須磨の仇浪のデータも、羽様荷香のデータも殆ど見当たらない。国立国会図書館デジタルコレクションに幾つかリストされているだけである。そんなもんだね。誰も興味の持たない昔の話になっている。 国会図書館:須磨の仇浪

映画のスチール写真も見当たらない。文化庁のこんなデータがあるのみ。須磨の仇浪

もっとも入江たか子は、現在でも著名です。と言っても、若い方は知らんだろうな。

いりえ たかこ入江 たか子
入江 たか子
入江たか子(1931年)
本名東坊城 英子
ひがしぼうじょう ひでこ
生年月日1911年2月7日
没年月日1995年1月12日(満83歳没)
出生地日本の旗 日本・東京府東京市四谷区
(現:東京都新宿区)
国籍日本の旗 日本
職業女優
ジャンル舞台
映画
テレビ
活動期間1927 - 1984
配偶者田村道美
著名な家族東坊城徳長(父)
東坊城恭長(兄)
入江若葉(長女)
入江 たか子(いりえ たかこ、本名・東坊城 英子(ひがしぼうじょう ひでこ)

1911年(明治44年)2月7日 - 1995年(平成7年)1月12日)は、明治から昭和期の日本の映画女優。

きんぽとん童子


きんぽとんどうじ(金浦敦童子)

きん(金太郎のように健康で)、ぽ(浦島太郎のように夢を持って)、
とん(敦盛のように心優しく音楽を愛してほしい)、との願いを込めて
子供を守ってくれるという。




六地蔵菩薩

地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六道に輪廻(リンネ)する一切の衆生を救って下さる仏様です。



そして、お待ちかねのあつもり首塚



敦盛塚あつもりづか(首塚)

この首塚(五輪塔)は、寿栄三年(1184)年二月七日に起きた一の谷の戦いで、熊谷直実に討たれ戦死した平敦盛の菩堤を弔う為に建立されたものです。
因みに、須磨浦公園にある『敦盛塚』には胴体が祀られています。これですね。

萬霊堂

 
立ち江地蔵尊
 

大埜源吉翁の銅像  どのようなお方かはっきりしない。


お寺の上方部分は、お墓になっていて、このように仕切られている。手すりつきである。



青葉殿

お助け地蔵

シベリア満蒙戦没者慰霊碑

軍人たると民間人たるとを問わず 太平洋戦争末期から戦後にかけて 
満蒙北鮮シベリヤの地に いわれなき戦火といわれなき虜囚抑留の果てに 
非業にたおれし われらの仲間を弔い奉る 遺骨収集はおろか自由なる墓参も許されず 
更には墓標すらなき凍土に埋もれて 異国の丘に眠る 戦友諸兄諸姉のみたまよ 
来たりてここに会し給え


このミーシャぐまの頭をなでると、一絃琴の『異国の丘』が鳴ります。

 五猿  

見ザル、言わザル、聞かザル、怒らザル、見てごザルの五猿です。
頭を撫でてあげると手が動きます。見ていると心が穏やかになります。
 



おかっぱの制服姿の小学生の像


如来様の石像五体  改装中 


奥の院参道入り口の狛犬 ブロンズ製で表情が密教的というか・・・・。 
 

こんなお顔です。

本坊・書院

本堂と共に須磨寺一山の中心で真言宗須磨寺派の宗務所ともなっており、書院は阿弥陀如来を本尊とする持仏堂でもあります。本坊は一絃須磨琴の保存会本部、稽古場にもなっており、その他、各種法要などが営まれています。
 
 
庭前には、滝の流れる庭、芭蕉句碑真鍋豊平の歌碑などがある。
 
真鍋豊平

ひとすじに こころこめたる ことなれば
ちよのしらべも たえじとぞおもう
 

芭蕉句碑

須磨寺や ふかぬ笛きく 木下闇


正岡子規

暁や 白帆過ぎ行く 蚊帳の外
 
ほかにも石碑はあったが、省略。またもや入力が困難となる。ここで終わるべきである。 
 
しかし、一応は皆紹介した。これで須磨寺編はおしまい。  
  
 

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