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2016年10月31日月曜日

神戸兵庫区 厳島神社

今回も兵庫区の神社で 兵庫厳島神社の紹介である。この神社は清盛七弁天の一つである。ニックネームはお洒落弁天である。看板にある氷室神社は前々回くらいに紹介ずみですが、恵林寺はまだですね。 神戸兵庫区 氷室神社



そういえば、清盛七弁天のうち和田神社真光寺能福寺は既に取材済である。
和田神社 兵庫 真光寺  兵庫大仏(能福寺) 
 
撮影済の看板







これによると、残りは恵林寺花隈厳島神社だけになる。

念のため調べてみると誤解をしていました。気がつけば当たり前だが、清盛くん松王丸くん弁天様ではない。清盛七弁天とは、七弁天清盛松王丸 なのである。

従って、残りはあと3つなのである。恵林寺 (運動辨天) に加えて、 済鱗寺 (勉強辨天) と 花隈厳島神社 (健康辨天) である。 そのうちにコンプリートするぞと決心するのであった。


清盛七弁天の看板




9人衆

お洒落弁天のキャラカード


のっけから脇道に入ってしまった。悪い癖だ。 それでは、厳島神社の記事を始める。

みなと八幡から歩いて5分位の所にあるお隣の神社である。この神社も割合きれいに整備されている。

入り口にある社碑   兵庫弁財天 厳島神社 とある。


朱鳥居   広島の厳島神社鳥居と同じスタイルですね。足元が三本支えになっている。



境内側から見た朱鳥居



それでは、まづ Wikipedia による神社の基礎データ。


厳島神社
Hyogo-Itsukushima-jinja 1.jpg
所在地兵庫県神戸市兵庫区永沢町4-4-21
北緯34度40分28.6秒
東経135度10分11.8秒
主祭神市杵島姫命
創建治承四年
別名兵庫弁天
札所等清盛七辨天 外弁天
例祭5月16日
主な神事亥の子祭(旧暦10月亥の日)針供養
拝殿


厳島神社(いつくしまじんじゃ)

兵庫県神戸市兵庫区永沢町に鎮座する神社。

祭神:

市杵島姫命(イチキシマヒメのみこと)

弁財天のことだね。画像は省略。 神戸兵庫区 氷室神社  を見てください。

歴史:

治承4年(1180年)に、平清盛によって、兵庫津の発展と住民の繁栄を析廟し、平家一門の氏神として深く崇敬している安芸国厳島神社を勧請して創建された。

縁起によれば平清盛が人工島を築く際に夢枕に厳島明神があらわれ、「汝の志を成就せんが為に現れた。篤く信仰して疑うことなかれ」と告げられたので、祀ることにしたと言われる。

社を場所を探していると、龍燈が西の方角から飛び立ち、松の枝に掛かった。ここが神慮の地であるとし、この地に建てられた。龍燈の松は戦前まで枯れてはいたものの現存したが、神戸大空襲で焼失した。

元禄5年(1692年)の指出帳には厳島弁天女社増福寺支配とあって、除地になっている。

それでは境内を見ていこう。

手水舎



放生池  水の入ってない池です。その前が石橋になっている、


由緒板



本殿    厳島神社というだけあって朱塗りの本殿です。

 本殿扁額



狛犬二基


摂社淡島神社


淡島さまは医薬の道をはじめられた祖神で、病気の治癒を祈るとご神徳あらたかといわれる。

同じく摂社である稲荷社  白萩稲荷大明神・若永稲荷大明神 を祀っている。

その稲荷鳥居


社をお守するお狐様2匹。 幾分痩せたお狐様である。



針塚  毎年2月8日に針供養が行われる。


石灯籠




石灯籠退筆塚(筆塚)  右から2番目にあるのが退筆塚


胞衣塚は写していない。そもそもその存在を知らなかったのだ。それで調べてみるとありました。


神社の背後に祀られているそうだ。胞衣(えな)は胎盤やへその緒で、屋敷の隅に埋めることが多く、縄文時代から胞衣信仰は続いているという。

これでおしまい。



神戸兵庫区 みなと八幡神社

神戸の神社シリーズである。今回はみなと八幡神社の紹介である。実にお手軽なのだが、母の入居している施設せんだんの実のお隣にある神社である。母の見舞いに行った帰りに取材したのである。

この神社は小さいけれども整備が行き届いている。社務所(本殿よりも大きい)は恐らく住居で、常に掃除や境内の手入れが行き届いているからであろう。

神社を見て廻っていて思うのだが、人気のない神社はやはり荒れてきて汚くなっていくのである。大体宮司さんは、幾つもの神社を兼担しているので、無人の神社には目が行き届かない。そうすると自然に荒廃するし、浮浪者やその他行き場のないフリーター(私含む)などがたむろするとゴミなどで余計に汚くなってしまうのである。無人の神社では、地域のボランティアの方々による定期的な清掃が必要だと思う。市がその清掃グループを組織してくれないかと、私自身は参加する余裕もないくせにそう思うのである。

と、感想を述べてから写真記事を始める。 場所は神戸高速の新開地駅より南へ400mほど歩いたところにある。徒歩で約7分。

この神社はWikipediaに記載されている。その基礎情報。


湊八幡神社
拝殿
所在地兵庫県神戸市兵庫区兵庫町1丁目4-37
位置北緯34度40分23.18秒
東経135度10分26.54秒
主祭神応神天皇
社格村社、幣帛共進社
創建不詳
例祭9月15日


湊八幡神社(みなとはちまんじんじゃ)

兵庫県神戸市兵庫区に鎮座する神社(八幡宮)である。


祭神: 応神天皇(八幡神)  

今回はこの画像です。



歴史: 

神功皇后三韓征伐の帰途に摂津国岡野村に立ち寄られた時、その地の霊石を求めて応神天皇のご誕生の延期を祈ると通じた。 後にその霊石を岡野村より迎えて一社を建て、湊玉生八幡と称した。

  • 天和年間(1681年~1684年)、荒廃していた社殿を奉行河野通政の援助と崇敬者の助力により社殿を建立。
  • 嘉永元年(1848年)再建。
  • 明治6年(1873年)村社に列す。
  • 大正4年(1915年)10月9日神饌幣帛共進社に指定される。
  • 昭和20年(1945年)3月の神戸大空襲で焼失。
  • 昭和32年(1957年)~昭和37年(1962年)社殿を再建。
阪神淡路大震災では無事であったようです。

神社のホームぺージ みなと八幡神社 

みなと八幡神社の前には西国街道 兵庫の道しるべが立てられている。


湊八幡神社は元西国街道の兵庫の町への東入口に当り、徳川時代には番所があり要衝であった。

迷い子のしるべ




現在は境内にあるがかっては神社塀外にあり、警察活動の行き届かなかった時代、迷い子さがしの方法として考えられたのがこの建て石である。

神社ホームページの記載から: 

右側は、昭和二十年三月十七日の戦災により破損したものである。左側はその再建されたもの。

この建て石は我が国において現存しているものは数少なく当時の風俗を物語る貴重な資料であるとされる。

当時迷い子ができた家では、ここに来て子供の特徴や年齢、住所、氏名を紙に書いて「たづぬる方」の上のくぼみに張付けます。子供を発見した人はここへ連れて来て、幸いにたづねる家の人に会えばすぐ引き渡し、もし発見者の方が早ければ「しらする方」の上のくぼみに住所、氏名などを紙に書いて張付けておきます。双方がここへ来るので、たいていの場合すぐ解決がついたようです。
 

尚、左右のくぼみは張付けた紙が風に吹き飛ばされないためでありましょう。
そんな工夫がなされていたんだね。何のくぼみか見ただけではわからないものね。

昭和四十六年四月これを修復すると共に、その左側に同一のものを併せ建立し永く保存しようとするものであります。


厄除 八幡神社  と刻まれてある社碑


鳥居  扁額に八幡宮とある。向かいに見えるのが社務所。 本殿よりも立派な2階建てです。住居として使いお祭には祀り物やおみくじの販売を行うのでしょう。



手水舎




本殿



狛犬は新旧の2基づつ計4基ある。 なぜ4基あるのかは、不明。寄進者が異なるのかもしれぬ。





本殿の鈴とお賽銭箱

例祭ではここで神事が執り行われる。

神馬


力石  手前の丸い石だと思うが、そんなに大きくはない。

小宮



YouTubeに厄神大祭の動画があったので、これもご覧ください。お祭りの様子がよくわかります。


これでおしまい。

有馬玩具博物館の動くおもちゃ オートマタ

有馬玩具博物館の記事を書かせて貰ったが、実際にオートマタが動くところは動画をアップできなくて、お見せできなかった。

有馬玩具博物館 Ⅰ   有馬玩具博物館 II     有馬温泉玩具博物館 Ⅲ   
有馬温泉玩具博物館 IV

今回はそのリベンジを果たしたい。と言っても、私が写して来た動画をアップするのではなく、YouTube に既にアップされている動画を引用するだけである。

私も楽しみながら再度見ました。 どうぞお楽しみ下さい。

兵庫 有馬玩具博物館 オートマタ シリーズ















西田館長の後任は女性館長の福本麻子さんです。

神戸ハイからの紹介動画です。紙製の動くおもちゃです。


【神戸スタイル】神戸ハイから誕生!‐有馬玩具博物館 福本麻子館長

この動画には、神戸人形の実演もあります。面白いですよ。是非ご覧ください。


有馬玩具博物館ツアーの動画もあります。解説つきなので、動きや背景にある面白さが納得できます。

記事で紹介したキョンシーの動く紙おもちゃもある。中国人女性による解説です。福本館長も出演しています。


惊奇日本:變換莫測!神戶紙人形【外国人が調査!謎の神戸人形とは?】~ビックリ日本~  

これで動画編はおしまい。





神戸灘区 稗田水神社

しばらく神戸神社シリーズをつづける。 主な神社はもう記事にしてしまったので、どうしても小さな神社ばかりになってしまう。従ってあまり見栄えのする写真が撮れないのは残念である。と言っても小神社にはそれなりの特徴もあり、時間の許す限り神社を探して取材写真を撮るのは、結構楽しいことではある。かって暇であった3年前には、思い付きにすぎないが、神戸市内の全神社を写真記事にするという野望を持っていたのである。しかし調べてみると、「神戸の神社」という単行本が出版されていて、既に全ての神戸の神社は取材され尽くしていたのである。


この本を読めばわかる事をしたって何の意味もないのである。それでも、狛犬や石灯籠の写真を撮るのは面白いし、写真は最新のものであるということで、再び時間をかけて挑戦することに決めたのだ。唯の物好きでしかないのだが、たとえ詰まらなくとも目標を持つのは私にとっては意味があるのだ。

と、馬鹿な決意を表明してから記事に入る。相変わらず我ながら能書きが多いですね。

今回はJR摩耶駅の近くに位置する稗田水神社(ひえだすいじんじゃ)である。境内の大きな楠が目印になる。



石塀に囲まれた1区画という感じの神社である。

御祭神: 罔象女神(みずはのめのかみ)


日本神話における水の神である。『古事記』の神産みの段において、カグツチを生んで陰部を火傷し苦しんでいたイザナミがした尿から、和久産巣日神(ワクムスビ)とともに生まれたとされる。

倉稲魂神(うかのみたまのかみ)


稲穂を持っている如く、穀物の神である。また狐に乗っていることから分かるように、お稲荷さんの守護神でもある。

由緒:

この地区は、昔から水害が多く、稗しか作る事ができないということから「稗田」と呼ばれていた。そんな稗田の地で、村人たちが農作物の無事を祈念するために水の神様である罔象女神を祀る神社を設けたのは、17世紀半ば頃の承応年間(1171~1175年)の事だといわれている。

鳥居  筋交いを渡したような一風変わった形をしている。傘木は金属だしモダンですね。



由緒を記した石碑

水の神 罔象女神を祀っている社殿。


先にのべた参考書 神戸の神社 兵庫県神社庁神戸市支部著 神戸新聞出版センター
によるとつぎのような説明がなされている。

 豊臣秀吉によって行われた太閤検地でも、村域の大小はありますが旧都賀荘の村の中では八幡村が360石、都賀村が330石の石高があるのに対し、稗田村はわずかに81石と、やはり稲作にとって厳しい土地であったようです。そのような土地であるが故に一層厚い崇敬を集めていた稗田水神社は、地域の厄災守護の神社として長く継承され、1873(明治6)年8月には村社に指定されました。その後、1909(明治42)年2月には稲荷神社が合祀されました。

それで稲荷神社も祀られているのだ。この特定の名称のない稲荷神社の祀り神が倉稲魂神である。



お狐様は祠の中だと思われる。

ご神木である楠。 しめ縄は張っておりませんが、間違いなくご神木です。


特に特徴らしいものはありませんでした。それでも付近の住民にとっては憩の場所ではあります。これでおしまい。