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2017年4月28日金曜日

エジプト旅行記 XXXV

エジプト旅行記も長くつづいている。旅行後4ヶ月も経っていないが、遥か何年も前のような気がする。現在はなにかと慌ただしい日々を送っているので、かって見た(大半は忘れているが)写真を眺めながらこの旅行記を書き続けるのは息抜きになっている。その長い旅行記も終りが近づいてきた。

メンフィス野外博物館を見学してから、バスはサッカラにあるジェセル王のピラミッドへと向かう。

その途中の車窓写真

イスラム寺院だと思われる。 この塔の上からアザーンの声が流れる。



名前はわからないのだけど、小さな川の両岸の風景。


サッカラカーペット学校

サッカラは産業もなくむしろ貧しい地域である。サッカラの産業振興と青少年育成の為に絨毯作りを教えている学校がつくられている。バスから何校かのカーペット学校が見受けられた。


上とは別のカーペット学校


エジプト絨毯にはペルシャやイランのような絨毯製作の伝統はなく、むしろ青少年の技術教育と働く場を与えるために設立されたものである。見学もできるし、各種の絨毯も販売しているそうである。

ユーカリの大木


ジョセル王の階段ピラミッドコンプレックスの入場口に着いた。 目の前に見えているのがその階段ピラミッドである。


ここで入場チケットを購入する。 以前の入場券の画像も一緒にアップする。

ダハシュールの屈折ピラミッド   40 エジプトポンド
メンフィス 野外博物館       40 エジプトポンド
サッカラの階段ピラミッド      80 エジプトポンド

田舎なので値段はそれほど高くはない。

だだっ広い駐車場で、監視員の小屋がポツンとあるだけ。


遠景 ピラミッドの周りを取り囲む壁が見えている。


ジョセル王の階段ピラミッドの上部分が見える。 まだ修復中の足場が残っている。


ここでWikipediaからピラミッドの説明を頂く。

ジェゼル王のピラミッド

ジェセル王の階段ピラミッド。(サッカラ)

ジェセル王のピラミッド (Pyramid of Djoser)

古代エジプト時代、第3王朝のジェセル王によってサッカラに建設されたピラミッドである。
サッカラのピラミッドともいう。典型的な階段ピラミッドであり、単に階段ピラミッドともいう。
史上初のピラミッドとも言われ、その建設方式や宗教的理念は後代のエジプト社会に大きな影響を与えた。

ジェセル王。

エジプト考古学博物館で撮影した画像です。

約4700年前に建設された最古のピラミッドである。エジプト王の威光を示すべくでっかい建造物を作り上げようとした最初のモニュメントといえる。

その設計についての記述。
    設計

    高さ62メートルであり、東西125メートル南北109メートルという長方形の底面を持っている。後代に建設されたピラミッドは通常正方形の底面を持っているが、階段ピラミッドの場合は五次に渡る設計変更の結果長方形の底面を持つことになった。

    階段ピラミッドは元来、初期王朝時代から見られる正方形のマスタバとして高さ10メートル、一辺63メートルの規模を持って建設される予定であった。しかし、建設を担当したジェセル王の重臣イムホテプらによって東側に向けて何度も拡張が繰り返され、最終的には階段上の概観を持つピラミッドとして完成したのである。

    正方形のマスタバ墳から順次拡張して行って現在見られる階段状のピラミッドになった訳である。

    Imhotep-Louvre.JPG
    イムホテプ像(ルーブル美術館所蔵)
    生誕紀元前2690年頃
    死没紀元前2610年頃
    職業宰相、神官、博学者

    ピラミッドの地下には深さ28メートルの地下室が設けられており、王の遺体を納める玄室や、玄室を取り巻く多数の部屋、回廊が張り巡らされた。

    ピラミッドコンプレックス
    葬祭殿の正面

    階段ピラミッドは単体ではなく、周辺の付属建造物とあわせてピラミッド複合体(ピラミッド・コンプレックス)を形成していた。北側に葬祭殿、東側に王宮、及びセド祭用の神殿、南側に「南墓」、西側に巨大な倉庫があり、この複合体全体を高さ10.4メートル、東西277メートル、南北545メートルの外壁が取り囲んでいた。全体を石造で建設する建造物としてはエジプト史上初ともいえるものであり、このピラミッドの建造によってイムホテプは建築家としても名声を博した。

    三大ピラミッドなどと共にメンフィスとその墓地遺跡として世界遺産に登録されている。

    階段ピラミッドの威容


    その周辺に見える崩れかけたピラミッド


    小山のようになってしまったピラミッド


    周壁に穴が開いており、そこがピラミッド・コンプレックスへの入り口である。
    この外壁に開けられた細い通路を抜ける。


    するとそこには2列に20本の柱が並ぶ柱廊がある。




    柱廊を抜けると中庭になる。


    柱廊を出た所が葬祭殿正面になる。 柱廊脇には石灰岩が山積みにされている。修復に使われるらしい。


    この中庭に階段ピラミッドがデーンと聳えている。


    中庭からの風景

    ロバの背に乗るエジプト人  


    ラクダを引くガイドたち

    葬祭殿



    列柱の崩れ落ちた残骸


    境界標石


    中庭奥の高台はテラスになっている。


     そこからは、赤のピラミッド屈折ピラミッドが遥か遠くに見えている。


    また、崩れて瓦礫のようになってしまっているが、ウナス王のピラミッドが見える。


     このピラミッドである。


    このピラミッドは2016年に修復をおえ、公開されている。その見学記は次回にまわす。

    今回はこれでおしまい。

    2017年4月26日水曜日

    大阪大学総合学術博物館

    週一の非常勤で阪大に通っている。最初の2年目まではまだまだ元気一杯だったので、講義終了後やその前に阪急宝塚沿線にあるお寺や神社を廻りこのブログの記事に書いたものだ。昨年はワイフの大病で大学に通うだけで精一杯で、講義終了後はすぐに帰宅していた。なにせ晩御飯の用意と術後の容態を常に見守る必要があったのだ。今年2月の小笠原諸島旅行後は不調だったが、4月に入って回復してきて、私のほうも比較的に自由が利くようになった。以前のようにある程度は自由勝手に行動できるようになっている。有難いことだ。

    この機会を逃さず、今年はカメラを持って沿線周辺の場所を見てまわりたい。昨年のリベンジを果たそうと思っている。 その1回目が前回の記事 阪大豊中キャンパスの桜  である。

    今回は前回と同じく豊中キャンパスでの取材である。先週の水曜日に撮った写真で大阪大学総合学術博物館まちかね童子像を紹介したい。

    豊中キャンパスのマップ



    上のマップでは阪急石橋駅から㉖基礎工学部へ向かう黄色の矢印が道順になっている。私の行き道は違っていて、駅から線路沿いに民家を通りぬけ、キャンパスを外側から回り込んで、通用口から刀根山寮を通過して文系総合研究棟に出て、㉖基礎工学部へ向かうというコースである。所要時間はあまり変わらないが学生は殆ど利用しないので一人歩きを楽しんでいる。帰りのコースは黄色の矢印の逆に進んで駅に向かう。

    総合学術博物館は裏門の近くにあり、帰り道に見かけるのだがどうしても素通りしてしまう。それで、今回は自宅を早めに出て博物館を見てから非常勤講義室に向かおうと思った。

    大阪大学総合学術博物館の表示板


    この建物である。 入場は無料。非常勤講師の特典ではなく誰でも無料である。


    博物館に入ると受付の女性(大学職員の方)がおられ、彼女から博物館のハンプレットを頂いた。

    パンフ



    博物館の建物は待兼山修学館という名称であり、懐徳堂適塾を源流としている。2008年に国の登録有形文化財に指定されている。

    パンフには1階から3階まで貴重な学術標本や資料を展示している。



    館内の展示室は撮影禁止になっている。それで写真紹介はできないが、幸い博物館のホームページがあるので、詳しくはそちらを見られたい。 総合学術博物館常設展示

    1F  コンピュータの黎明期  世界にはばたく研究者

    2F  みる科学  大阪大学の系譜

    3F  待兼山に学ぶ

    博物館で特筆すべき展示はマチカネワニである。1964年5月、豊中キャンパスの理学部建設現場から出土した。日本で初めて発見されたワニ類の化石だそうです。

    そのマチカネワニの実物大化石のレプリカが入り口の壁にデーンと張り付いている。

    その復元模型

    非常に貴重な化石で国登録記念物になっている。 知らなければ、日本ワニが生息していたというのは驚きかもしれない。


    1階から3階まで色んな展示物を見て、阪大在任の偉大な研究者の系譜に接して大したものだと感銘を憶えたのである。その一方で最近の 大阪大学医学部論文不正事件 - Wikipedia は嘆かわしい事だとも思った。

    階段には古い機器が展示されていた。触れてはいけないが、これらは撮影可なので写してみた。

    製鋲機および伸展用機器

    旋盤


    最近のニュースとしては、NIFREL(ニフレル)との協定がある。

    平成27年11月19日に「生きているミュージアム」として万博記念公園(吹田市)内に開館したNIFREL(ニフレル)と当館は、今後様々な研究と展示の連携を図るため、包括協定を締結しました。
     ニフレルでは、当館が所有する骨(ワニの化石)から忠実に再現したマチカネワニの実物大復元模型を展示しています。


    (写真:協定書を手にする永田館長とニフレル小畑館長)

    また本日4月26日から8月5日まで HANDAIロボットの企画展がある。



    企画展 HANDAIロボットの世界-形・動きからコミュニケーション そしてココロの創生へ-

    本日見に行こうと思っている。

    博物館の見学がおわり、キャンパスを散策する。

    しだれ桜はまだ見ごろである。


    さつきの花の蜜を吸うアゲハチョウ


    「友よ我らぞ光よと」像  旧制浪高の像である。


    まちかね童子像


    ともに夢童百里子の彫刻作品である。旧制浪速高校の第1回卒業生でもある国文学者・野間光辰のお嬢さんとのことです。

    お二人の写真



    これで阪大豊中キャンパス紹介の2回目はおしまい。