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2017年6月30日金曜日

西宮 円満寺

西宮神社を取材したついでのおまけ記事である。西宮神社のお隣にある成田山円満寺の紹介である。実を言えばお参りするのは初めてである。

西宮成田山と書かれた大きな寺碑(看板塔?)が立っている。寺前は広い駐車場になっている。


お寺は新しい真白な塗り塀で囲まれていて、対照となる青銅葺きの2つの山門がある。1つは、円満寺の山門であり、もう一つは西宮成田山の山門である。

円満寺山門  寺額には、真言宗 円満寺 とある。山門前には二基の常夜燈が立っている。



西宮成田山山門 成田山の額が掛かっている。


ここでWikipediaからこのお寺についての基礎情報を教えていただく。

円満寺 (西宮市)


円満寺
圓満寺の本堂
所在地兵庫県西宮市社家町1-36
位置北緯34度44分4.30秒
東経135度20分2.43秒
山号医王山
宗派高野山真言宗
寺格別格本山
本尊薬師如来
創建年康保3年(966年)
開基(伝)法道仙人
別称西宮成田山
札所等摂津国八十八箇所79番

西宮成田山・山門


円満寺(えんまんじ)

兵庫県西宮市にある仏教寺院。 高野山真言宗別格本山、山号は医王山。摂津国八十八箇所79番札所。本尊は薬師如来


薬師如来坐像
奈良国立博物館蔵



歴史:

開山・法道仙人、創建・康保3年(966年)
円満寺は、西宮市鷲林寺にあった、武庫山鷲林寺を現在地(西宮市社家町)に移したのが始まりである。
武庫山鷲林寺は平安末期の治承・寿永の乱(源平合戦)、戦国時代には、荒木村重の乱に遭い荒廃した。また、織田信長の焼き討ちのため炎上し、灰燼に帰した。灰燼に帰したときに、南勝坊に霊夢によるお告げがあったため、鷲林寺を現在地に移した。そのため、今里鷲林寺とも称されて、現在に至っている。

1945年(昭和20年)8月の空襲で、すべての建物が全焼した。その際、所蔵していた古記録も焼失して、詳しい歴史が解らなくなってしまった。1948年(昭和23年)円満寺第53世、真応により、本堂・庫裡などの諸堂再建し、中興を果たした。

境内の西側には、神変大菩薩石碑稲荷社がある。

西宮成田山

同じ敷地内に西宮成田山の堂宇(祈祷殿)があり、不動明王を祀る。


祀られている不動明王は、1959年(昭和34年)、大本山成田山新勝寺の貫首・荒木照定大僧正の開眼による成田山新勝寺本尊の御分身

成田山新勝寺不動明王

また、同時期に高野山真言宗管長・水原堯榮大僧正より、「西宮成田山」の山号を授かり、西宮成田山と称し、交通安全祈願道場とした。交通安全祈願のほか、厄除けなどの所願成就を願う参詣者も多い。

1995年(平成7年)の阪神淡路大震災旧祈祷殿全壊。震災以降、仮堂が設けられたが、祈祷殿を再建を発願し、着工。2013年(平成25年)10月28日、完成した祈祷殿の落慶法要が営まれ、震災からの復興を遂げた。


大阪大空襲で全ての建物が焼けてしまい、1948年に再建したものの再び阪神・淡路大震災で全壊してしまった。災難つづきですね。でも、これで本堂祈祷殿が真新しいRC造りなのが理解できました。今後は災難に遭わないでいて欲しいものですね。

それでは広いとは言えぬ境内を参拝しよう。

祈祷殿 


4年前に再建なったばかりです。


2013年(平成25年)10月28日に、完成した祈祷殿の落慶法要が営まれた。現祈祷殿は鉄筋コンクリート。流れ向拝付き入母屋造・本瓦葺き・地上1階地下1階建て・延べ面積379m2

手水舎


本堂正面

本堂側面

納骨堂(らしい?)


神変大菩薩役 小角のこと)の石碑  震災後に補修されたので支柱が必要となる。


境内には稲荷社が祀られている。

その石鳥居

石の社殿供養塔 これも震災時に崩れてしまったのだろう。現在は稲荷社らしい雰囲気はあまりない。らしいのは朱塗りの柵だけである。

これでおしまい。

神戸垂水区 舞子延命地蔵

今回は舞子六神社を参拝した帰りに出会った、大きなお地蔵さんの記事です。国道2号線と山陽電車の路線に挟まれた歩道脇に鎮座している。

この地図 ↓ の場所である。

〒655-0046 兵庫県神戸市垂水区舞子台5丁目1 舞子延命地蔵の地図

舞子延命地蔵の標識  境内のようになっていて石柵で囲われている。


このお地蔵さまで、台座から測ると4mになる大きな御影石造りの石仏である。


舞子延命地蔵  全体のお姿

摂州灘石屋村 石工 文左衛門 作 

江戸末期、漁船安全と悪病不入のため村人が作ったといわれている。地元では「たたき地蔵」と呼ばれ、木槌で台座をたたきながら祈れば願いが叶うとされる。

木槌が沢山奉納されている。但し、実際にこの延命地蔵をたたいて貰っては困るとのことです。


由緒を調べてみると次のように記されてあった。垂水おもちゃ箱 より引用。

文政8年(1825年)、山田村(現在の舞子)の庄屋中津源左衛門らが船の往来安全と村の安泰を願って、灘の石工長谷文左衛門に造らせたものらしい。
伝説として、昔高知の桂浜を航海中、網にかかったお地蔵さんが船倉に転がり込み、あまりに重いのでどうすることもできず、荷物と一緒に山田の浦(舞子の浜)まで航海して荷揚げと一緒にあげた、そのため桂浜の方に向けて祀った。それで「南向け地蔵」と呼ばれたとある。

延命地蔵尊の左横には、小さなお地蔵さまが並んで祀られている。いつのまにか持ち寄ってきて集められたものとか。

小地蔵たちの横には、供養塔宝篋印塔が並んでいる。



境内の左端に、雨にも風にも負けないRC製の社殿を持つ、稲荷社三宝荒神が祀られている。

白高稲荷大神   社には稲荷鳥居とお狐様が祀られている。

三宝荒神  荒神様は拝殿の中でお休み中であった。

鉄道犠牲者の供養塔(昭和34年) 絶えずお花が供えられているようです。


これでおしまい。

2017年6月29日木曜日

神戸垂水区 舞子六神社

今回は神戸の神社シリーズに戻って、垂水区にある舞子六神社の紹介である。1月に取材したきり放置していたものである。遅ればせながら、溜っている神社写真のログを解消したいと思っている。

JR垂水駅を降りて山陽線の線路沿いに歩いて7,8分の所にある。海に面するように鎮座している。

大鳥居  松の内だったので、門松が足元に飾られている。



まづWikipediaから舞子六神社の解説を頂く。


舞子六神社
Maiko rokujinzya.JPG
所在地神戸市垂水区西舞子1-5-7
位置北緯34度38分14秒
東経135度1分44秒
主祭神伊邪那岐大神
伊邪那美大神
天照皇大神
素盞男大神
月夜見大神
蛭子大神
例祭10月第二土、日曜日(体育の日の前の土日)


舞子六神社(まいころくじんじゃ)

兵庫県神戸市垂水区にある神社である。境内にある大黒社石像は日本一とされている。

由緒:

創建は、御輿渡御に供奉する金幣の刻銘により、1689年(元禄2年)まで遡ることができるが、神社に関する古記録が失われているので、それ以前については不詳である。
しかし、祭神は明石の岩屋神社と同神であることから江戸時代前期中葉に、岩屋神社より分霊を受け、播州明石郡山田村の総鎮守として六社大明神の社を建て、六柱の神を祀ったのが創始であると推定される。
明治初期の神仏分離令により明神号が廃止され、六社神社と名所が変わり、1874年(明治7年)2月に列し、六神社と改称し、現在に至っている。
現在の本殿は1890年(明治23年)7月31日に再建され、明治39〜40年に銅板茸の屋根に改修されたものである。


ご祭神: 六神社であるから六柱のご祭神を持つ。
  • 伊邪那岐大神
  • 伊邪那美大神
  • 天照皇大神
  • 素盞男大神
  • 月夜見大神
  • 蛭子大神

である。月夜見大神ツキヨミノミコト)

性別不詳だが、こんなイラスト画像しか見つからない。



日本神話で、黄泉(よみ)の国を脱出した伊弉諾尊が禊(みそぎ)をした際、右の目を洗って化生した三神の第二神。天照大神の弟で、素戔嗚尊の兄。月の神

それ以外は何度も画像紹介しているので省略する。

拝殿


拝殿でおみくじや破魔矢、各種のお守を購入できる。ランドセルお守りなんてのもある。



拝殿前  狛犬二基 しめ縄を飾って貰っている。


社額  舞子六神社 とある。

本殿屋根

手水舎



稲荷お松社(倉稲魂大社)  お松大明神を祀る朱鳥居


 四柱の神々が祀られている末社の統合社殿



菅原社(菅原大社) 白髭社(貴船大社)


稲荷五社(稲荷大神)  大歳社(豊宇気比賣命)


四社をお守りする狛犬二基  こちらも同様にしめ縄を締めて貰っている。


戎宮(蛭子大社)大黒宮(大国主命)を祀る統合社殿


戎宮
 大黒宮

社殿横のえびす像 日本一だそうである。


小ぶりの大黒像

大黒像


 神社をでるとこのように舞子の海が広がっている。



明石大橋


舞子の漁港


これでおしまい。