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2018年2月28日水曜日

ナポリ旅行記 XX アマルフィ海岸 (2)

先週の金曜日にフィトネスに行って水中エアロビをやって運動不足を解消していい汗をかいたと思っていたら変異は2日後にやってきた。日曜日朝に岡本梅まつりに取材に行ってから、昼過ぎに魚崎八幡宮に参拝したのだが途中右足が痙攣したようになり痛くてだるくて歩くのが困難になった。それですぐ自宅に帰って休息したが改善せず、それ以来動かすたびに脚が痛くて悶々鬱々としてベッドに寝ておりました。何をする気も起らず朝の主夫業をやっとこせこなした後は青息吐息でベッドで本を読んでいるだけ。起き出してブログで梅まつりの記事を書き始めたがつづける気が起らない。簡単なコメントが思い浮かばない。元々出来の悪い頭がより一層働かなくなっている。このまま認知症に移行するのでないかと本気で心配になる。おい、お前生きていけるのかい。4月からは講義が始まるのだぜ。ひえ~、どうしょう。

鬱病だなと自分でも思って頭を使うことは一切やめて寝るばっかり。日月火と共に12時間近く寝ていたことになる。嗜眠性障害ですね。寝てても足を動かすとダル痛いので眠りは深くないけど起きてトイレに行くとすぐにウトウトして寝てしまう。全く廃人ですな。

それで3日たってようやく痛みは軽減してきた。だるさは感じるが痛みは殆ど感じなくなった。よかった。一時は世をはかなんで○○しようと思ったくらいである。
理由ははっきりしないが結構ハードな水中運動をやって筋を違えたらしい。年のせいで感覚が鈍くなっており山道を上って公園を動き回ったのが筋違いを起こした原因らしい。足腰が弱ってきたので年相応の運動を考えていかないとあかんな~と反省したのであった。

と、私にとっては切実だが読者の皆様にとっては無意味な愚痴を書いてからナポリ旅行記のつづきを始める。エレベーターで階下に降り3階のレセプションでチェックインを済ませ部屋に荷物を置いてからアマルフィ海岸へと向かう。徒歩で10分位の距離にある。

ホテル ミラマルフェの外観 
中央の白い建物で崖に階段状にへばりついたような感じで建てられている。

断崖絶壁を道路脇から写した写真


アマルフィの街並み  絶景です。


このような大きな岩の洞穴をくり抜いたトンネル通り抜ける。


岩の洞穴

眼下に見える桟橋 内海側が船の停留場になっていて外側には波除けの巨石が並ぶ。


道路脇にこのような急な石段がありこの階段を降りて行けば海岸に到達する。


港の風景 おじさんが釣りをやっているようです。


岸壁にへばりつくホテル群


道路を支えるアーチ型の陸橋 古代ローマの建築法と同じです。



ここでアマルフィについての基礎情報をWikipedia から教えて貰う。

アマルフィ
Amalfi
アマルフィの風景
行政
イタリアの旗 イタリア
カンパニア州の旗 カンパニア
Blank.png サレルノ
CAP(郵便番号)84011
市外局番089
ISTATコード065006
識別コードA251
分離集落Lone, Pastena, Vettica, Pogerola, Tovere
隣接コムーネ#隣接コムーネ参照
公式サイトリンク
人口
人口5,169 人 (2014-01-01)
人口密度846.0 人/km2
文化
住民の呼称amalfitani
守護聖人使徒聖アンドレーア (Sant'Andrea Apostolo)
祝祭日11月30日
地理
座標
北緯40度38分0秒 東経14度36分0秒 / 
北緯40.63333度 東経14.60000度 / 40.63333; 14.60000座標: 北緯40度38分0秒 東経14度36分0秒 / 
北緯40.63333度 東経14.60000度 / 40.63333; 14.60000
標高6 (0 - 1036)m
面積6.11 km2
アマルフィの位置(イタリア内)
アマルフィ
アマルフィの位置
サレルノ県におけるコムーネの領域
サレルノ県におけるコムーネの領域
イタリアの旗 ポータル イタリア


アマルフィ(イタリア語: Amalfi

イタリア共和国カンパニア州サレルノ県にある、人口約5200人の基礎自治体(コムーネ)。
急峻なアマルフィ海岸に面して築かれた都市である。中世にはアマルフィ公国(アマルフィ共和国)として自立し、強盛を誇った海洋国家であった。ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されているアマルフィ海岸の中心都市であり、観光の拠点である。




ソレント半島の南岸(アマルフィ海岸)にあたり、サレルノ湾に面する。
周囲を断崖絶壁の海岸に囲まれ、小湾の奥に位置する小規模な浜に作られた港から、断崖上に向かって形成されている街である。

アマルフィの街並み 
ドゥオモ(アマルフィ大聖堂) 
市街(東側から) 
アマルフィの街並み 

歴史:

その起源は古代ローマ時代にまで遡る。海洋に面し、かつ複雑な地形に囲まれており、外敵の侵入を撃退するのに適していた。839年、ナポリ公国から独立を宣言してアマルフィ公国となり、イスラーム勢力との抗争のなかで、徐々に勢力を拡大させていった。872年にはサン・サルヴァトーレ島を守っていたイスラーム軍を海戦で撃破、この功績で東ローマ帝国からカプリ島を譲渡された。

かっては強大な軍事力を誇る海洋公国でした。

アマルフィは、その後も公国の首都、貿易の拠点として発展し、一時はピサやヴェネツィアやジェノヴァと地中海の覇権を争い、黒海にも商業活動を広げた。
アマルフィの人々は、航海に関する法典である「アマルフィ海法」を作成した。これが様々な海洋に関する法典の雛形となり、17世紀まで影響を持った。また、中国からイスラーム世界に伝わった製紙法がシチリア島経由でもたらされ、13世紀には製紙産業が勃興していた。

中世ヨーロッパにおける製紙産業のメッカでもあった。

アマルフィの最盛期11世紀に達成され、その後急速に衰退した。1131年にはノルマン人による征服1135年、1137年はピサによる略奪、そして1343年での嵐によって都市の大部分が破壊された。

ということで古代海洋都市国家であったがその栄光は潰えて久しかったわけです。現在は観光都市として世界中の人が訪れている。

特産品はリモンチェッロ手漉き紙リモンチェッロの原料にはこの地方特産のレモンが用いられる。今でもアマルフィの急斜面にはところどころレモン畑がある。手漉き紙はイタリア半島で最初に製紙法が伝わった場所であり、紙漉きに必要な清流が存在したことから発達した。

リモンチェッロを飲みましたよ。そのうちにご紹介します。特産の手漉き紙は製紙産業の名残りですね。

アマルフィの中心部に入りました。 海岸に面した狭い部分が広場になっている。

噴水 傘下の子供像  このように台は苔でびっしり覆われている。傘の滴のお蔭だね。



錨のモニュメント  古代ガレー船のとか?

照明灯

マリーナ港の門 建物の壁面には陶板による地中海沿岸の古地図が掲げられている。この門を抜けるとアマルフィの中心部が広がる。


ドゥオモ広場

市庁舎など多くの建物が並びその奥に一際背の高い鐘つき堂が見える。


鐘つき堂  大聖堂の回廊左側に建っておりでタイル張りの装飾が見事である。




広場前の聖人像  どなたかは調べていないのでわからない。

ドゥオーモ  

聖アンドレアに捧げられた大聖堂。実に見事で鮮やかな装飾です。
10世紀頃に創建され、その後度々改修され、現在見られるのは18世紀バロック様式とのこと。




民族衣装を着こんだ男性。この日パレードがあり沢山の見物客が集まっていました。そのパレードのメンバーかもしれません。


大聖堂に至る長い石段

ここでまたもや腰が痛くなってきた。長時間椅子に座っていたからだろう。少し横になることにする。今回はこれでおしまい。

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